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障害者テニスのはじまり

どんどん、スポーツできるような環境になってほしいですね。


障害者が車いすでテニスを楽しむことはレジャーとしてはそれまでにも存在していたが、1976年、アクロバットスキーの競技中のけがにより下半身不随となっていたアメリカのブラッド・パークス(Brad Parks)が、ジェフ・ミネンブレイカー(Jeff Minnenbraker)とともに車いすの改良を含め、本格的な競技スポーツとして成立させたのが、車いすテニスの始まりとされる。

1977年春、パークスはアメリカ西海岸でエキシビションマッチを開催、これを受けてロサンゼルス市が20名の選手が参加する初のトーナメント戦を実施した。1980年にはパークスが中心となってアメリカ車いす財団(NFWT)が設立され、初の全米オープン車いすテニス選手権が開催となり、アメリカ国内各地やオーストラリアでツアーも行なわれた。


国際化
1981年、競技としての車いすテニスの国際普及を目指して車いすテニス選手協会(WTPA)が設立され、アメリカ国内を転戦して全米オープンで勝者を決定するグランプリサーキットの第1回大会が行なわれた。パークスによる教本も出版された。

ヨーロッパではフランスで国内ツアーが開催され、ヤニック・ノアやアンリ・ルコントといったプロテニス選手が車いすテニス選手と組むエキシビションも行なわれた。1983年にはパリでオープン・ダントニ(Open d'Antony)と呼ばれる初の車いすテニスの国際トーナメントが開催された。1984年、イギリスのストーク・マンデビルで初めて車いすテニスの公開競技が行なわれた。

日本で本格的な普及活動が始まったのもこの頃である。ロサンゼルスで車いすテニスに出会ったことをきっかけに、佐藤政廣はパークスの教本を日本語に翻訳し、講習会を実施、障害者と健常者がダブルスを組むニューミックスの競技会を開催した。1985年には福岡県飯塚市で飯塚国際車いすテニス大会(ジャパン・オープン)の第1回大会が行なわれ、ブラッド・パークスが優勝している。

1985年、国別対抗戦であるワールド・チーム・カップが創設された。第1回大会は男子選手が中心であったが、翌年の大会から女子の部が正式に発足した。

引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月10日 19:13に投稿されたエントリーのページです。

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